AIアレンジ楽曲の出来がすごすぎて、普通に聴けてしまう件について
最近、YouTube のおすすめに出てくる AI アレンジ楽曲の出来が良すぎて、地味に驚いているんだよね。
きっかけは覚えてない。いつもみたいに作業用の BGM でも探してて、サムネと曲名につられてなんとなく再生した、たぶんその程度だ。
でも聴いてみたらこれがちゃんと良い。「AI にしては」じゃなくて、普通に良いんだよなぁ。
最初は正直、身構えてた。
「どうせネタでしょ」「一発ネタとして笑う系でしょ」って、心のどこかで斜に構えてたわけだ。
でも聴き進めるうちに、その構えがだんだん崩れていった。
もちろん元の曲が良いっていう大前提はある。土台がしっかりしてる曲は料理の仕方を変えてもだいたい良い。それはそう。
でも今回感心してるのはそこじゃなくて、「AI が別の解釈を乗せた楽曲」として素直に楽しめちゃう、っていう部分なんだよね。
同じ曲でも、テンポやジャンルやアレンジの方向性が変わると、まったく違う表情が出てくる。
しっとりした原曲がロックになったり、逆に賑やかな曲が静かなバラードとして組み直されたり。
「この曲、こういう聴かせ方もできるのか」っていう発見が、普通に嬉しい。
カバーやリミックスを聴いたときの「へえ」に近い感覚が、AI 相手にも起きてる。これがなんとも興味深いんだよなぁ。
実際に感銘を受けたアレンジ
抽象的な話ばっかりしても伝わりにくいので、最近「これはやられたな」と思ったやつを具体的に挙げておく。
空と君のあいだに -中世の酒場に響く-(中島みゆき)/ すたふぃる⭐︎Starlight Philharmonic
ドラマ「家なき子」の主題歌としても知られるあの曲を、中世の酒場に響かせるってコンセプトのアレンジ。
原曲の芯の強さはそのままなのに、まったく違う時代・違う場所の空気をまとってくるんだよね。
「この曲をこの角度から解釈するか」って驚きがまずあって、その上でちゃんと聴かせてくる。最初に構えが崩れたのはたぶんこれだったな。
木枯しに抱かれて -ヘレリルとヒルデブランドの悲恋に捧ぐ-(小泉今日子/THE ALFEE)/ すたふぃる⭐︎Starlight Philharmonic
同じチャンネルのファンタジーケルト系アレンジ。
歌謡曲の名曲に、北欧の悲恋譚っていう物語性を重ねてくる構成が見事だ。
元の曲が持ってたもの悲しさが、まったく別の文脈で立ち上がってくるんだよね。
アレンジっていうより「再解釈」って言葉のほうがしっくりくる一曲だな。
とはいえ、AI にはちょっと疲れてる
正直に言うと、俺は世の中の「AI、AI」って空気に、若干辟易してる側の人間だ。
何を見ても AI、何を売るにも AI。猫も杓子も AI を冠につけときゃ良いと思ってるだろ、って場面にもそこそこ遭遇する。
仕事柄、新しい技術には人並み以上に触れてるつもりだけど、だからこそ「ブームとしての AI」の過剰さには少し疲れてる、っていう自覚があるんだよね。
でもまあ、それはそれとして。
実際に耳で聴いて「良い」と思っちゃったものは、良いんだよなぁ。
理屈でどれだけ斜に構えてても、素直に良いと感じた瞬間には勝てない。上に挙げたアレンジたちは、その「勝てない瞬間」を普通に作ってきた。これはもう認めるしかない。
技術としてすごいのはもちろんそうなんだけど、地味に感心してるのはそれが「ネタ」じゃなくて「鑑賞に耐えるもの」として成立してるって点だ。
一発の面白さで消費されるんじゃなくて、ライブラリに入れて何度でも聴ける。
その一線を越えてきたところに、ここ最近の進歩を感じるなぁ。
もっとも、これはこれで少し複雑な気持ちもある。
「良いものは良い」って言いながら、その裏でどれだけの学習と計算が動いてるのかを考えると、手放しで喜んでいいのか、っていうひっかかりはゼロじゃない。
まあそのあたりの話はまた別の機会に、腰を据えて考える必要があるんだろうな。
ただ、今この瞬間の感想として言えるのはひとつだけだ。
AI、AI とうんざりしてたはずの自分が、AI アレンジ楽曲を普通に良い曲として聴いてる。
この事実がすべてを物語ってる気がするなぁ。
素直に、すごい技術だと思う。
と同時に・・・すごく怖い。
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